北海道気まま周遊

2015年8月4日〜2015年8月27日


舞鶴港とアカシア号

  永年の念願であった北海道旅行がやっと叶った。舞鶴から小樽までフェリー利用。新日本海フェリーは夏は時期によって3段階に料金が変わることがわかり、ちょっとでも上がる前の8/5に乗らなくちゃと準備も整わぬ間に出発した。こまかいな〜〜

  舞鶴に夕方着。道の駅併設のとれとれ市場を覗く。旨そうな海の幸が目の毒だ。食事には中途半端な時間で、岩牡蠣を一つ買ってその場で生で食した。備前の冬シーズンなら10倍は買えそうな値段。ところで貝の数え方は? 個、匹、杯、枚、折、鉢?

  とまれフェリーターミナルへ。出航は深夜なので、手続きを済ませて舞鶴のショッピングセンターで出来るだけ時間を潰して夕食。乗船までの間コンテナーの積み下ろしを見学。トレーラヘッドが何度も架け橋を上り下りして3甲板に積み込み、空きがあればここに乗用車も積み込みます。2甲板は桟橋とほぼ同高位でトレーラやトラック。乗用車はこの階に乗り入れた後地下に相当する1甲板へ下ろされます。フェリー20時間の乗船で心配なのが船酔いなんですが、波も無く、スタビライザー付きのそこそこ大型の近代船なので、ディーゼルエンジンの響きが無ければ、ホテルの部屋と変わらない快適な船旅でした。

  小樽入港が夜9時前というのは厳しい。宿は勿論確保してないので、道の駅へと急ぐのですが、港はいつもの事ながら方向がわからなくなり、真っ暗闇でいよいよ迷子状態。いつも馬鹿にしてるナビですが、最後の頼みでなんとか余市までたどり着きました。余市はニッカ・ウィスキー工場のあるところ。ブドウやプルーン、桃が特産。ウィスキー温泉やリンゴ風呂があったことを帰宅後に知る。

余市道の駅/宇宙記念館スペース童夢。余市は毛利衛さんの生まれ故郷

ニッカ・ウィスキー工場

余市駅

神威岬駐車場
遊歩道中間
岬先端
  いよいよ北海道だ。早朝、心躍らせ積丹半島の先、神威岬を目指す。灯台までの登り道はちょうど良い運動になったが、岬の先は霧でほとんど見えない。幸先悪いなぁ〜。ハマナスは咲き残りを探し出すのが精一杯。ツリガネニンジンが満開、カワラナデシコ他初見の花がちらほらで、わくわく感が増して来た。

小樽駅
小樽運河
  急な出立での不足備品を補うべく、小樽では街観光の前にほぼ半日を費して、ダイソーやイオンで買物。海の幸市場で贅沢な昼食後、小船で運河を巡る。夕方になり石狩方面へは行けなくなって、予定を変更して南の赤井川というところで一泊。前日同様猛暑は北海道も大阪同様で、ヘッドレストに取り付けたTVモニター用ステーが、扇風機の固定具に変身した。


道の駅しんしのつ温泉

展望塔から

とんがり帽の展望塔
  今回は1日の走行距離を押さえてゆっくりのんびり、日没後は走らないをモットーにした。7日昼ごろに新篠津到着。明日までここに居付くつもりで、しのつ湖やキャンプ場周辺の散策。夕食も昼と同じ道の駅レストラン。ここは温泉もホテルも完備している。しかしこれではのんびりし過ぎで、先に進まない。


マガンの飛来池宮島沼

留萌で海鮮料理
あわや正面衝突
  誓いを立てたゆっくりドライブも早や三日で崩れた。留萌から暗闇のドライブとなってしまった。しかものんびり走行を思い描いてたオロロンラインを。情報収集能力が足らなかった。この日々の為にタブレットを買ったのに、十分な活用をするに至ってない。


オロロン鳥と一緒に

最北端駅 稚内駅

海の駅 港のゆ、副港市場
  礼文島は今回最も楽しみな目的地の一つ。その渡航船の発着港稚内の海の駅で、ロシア人の音楽グループがロビーでライブ演奏をして、ロシアとの交流をアピールしている。聞けばサハリンへの渡航船もここから出ているという。ロシアに最も近い港であり、真に国境の町なのだ。次回はサハリンへ行ってみたい。


礼文島に到着ですが霞んでますね〜〜

あつもん君。レブンアツモリソウの妖精。

林道コースの中間地。この先はがけ崩れで通行不可で引き返します。
  翌早朝車を港に置いて、身体だけで渡る。島のフェリーターミナルで周遊の観光バスがあるのを見つけた。雨が降る天気では丁度よいのでこれに乗り込む。昼頃には周遊を終えたころ晴れてきたので、ターミナル近くを山歩きする。礼文で1〜2泊の行程なら、もっと長いハイキングコースを歩けただろう。ぼくには新鮮な被写体がいっぱいで退屈しないが、同行の奥さんはどうでしょうね。申し訳ない。


宗谷岬

家の留守番へのお菓子便

猿払村。酪農とほたて漁

ホタテの夕食
  日本の最北端宗谷岬でも観光バスが停まると、モニュメント前には記念撮影の順番待ちの人だかり。残念な曇天でサハリンは見えませんでしたが、普段は意識したことのない国境がこの先に頑としてあります。ここでも中国の人を見かけたが、何故ここまで来るのだろう。かつての日本領土樺太が見える場所という以外には特段他所の岬と変わったこともなそうだが。

  猿払(さるふつ)というところの道の駅で温泉に浸かりレストランで夕食を摂った。北海道といえばホタテだが、ここのホタテは天然ものとのことだ。それもその筈。オホーツク海沿岸には湾がないので設備が波にさらわれ養殖ができない。といっても獲りっ放しではなく1年目の稚貝を海に撒いて4年後に収穫する。地撒き漁という。この産業で猿払村には高額所得者がいっぱい居るそうだ。そういえば北海道の地図を眺めても湾や入り江が少なく、代わりにサロマ湖、能取(のとろ)湖、風連湖、厚岸湖など、汽水湖が目立つ。

  早朝猿払を出発。ずっと霧で視界が悪い。クッチャロ湖の東を南下途中、ベニヤ原生花園の看板を目にしたので急左折。北海道の国道は直線道路がどこまでも続き、どの車も高速で突っ走るので、流れに乗ってると道案内看板を見つけても大抵間に合わない。道の駅看板のようにもっと手前にも置いといて欲しい。

  ベニヤ原生花園でも小雨は止まず悩んでると、乗用車が近付いてきて運転してた人がこちらへ。親子連れの熊の目撃情報があったので遊歩道へは入らないで、出来るだけ車外に出ないようにと言い残してすぐに来た道を戻って行った。私の車がこちらに来るのを見つけ、わざわざそれを告げに後を追ってきて呉れたようだ。「北海道」を実感する瞬間だった。

  クッチャロ湖で国道238オホーツクラインと別れ、275号線で内陸部へ向かう。鍾乳洞の看板を一度は曲がりきれず通り過ごしたが再度見つけたので、方角としては戻ることになるが今度はハンドルを向ける。

  中頓別鍾乳洞周辺は公園として整備され、管理棟では熊避けに貸し出しの大き目の鈴が置いてある。遊歩道脇の植物にいくつもの名札を立ててくれてるのも親切だ。木道で蛇が横切ったがカメラを向ける間もなく藪の中に去った。その少し後、連れがなにやら騒いでる。見ると小さなリスが木道にいた。ゲッツ! カメラを構えてそっと近付いても逃げ出す気配がない。人に馴れてるのか、ゆっくり観察できた。礼文島で悩まされた虻がここでもすごく多く、何匹もが手や足や首に群がって刺してくるのには閉口した。公園整備の方に聞くと今年は特に多いと。遅まきながら名寄のセイコーマートで虫除けスプレーと殺虫剤を買うも、この旅行中の苦難であり続けた。一ヶ月以上経った今でも掻き痕が残り、痒みも消えてない。

  この日は始動が早かったので午後からも美深(びふか)町で「深縁の滝」というところまで山歩きをして、さらに奥の仁宇布山麓で松山湿原から流れ出る名水を汲んで、植物写真の収穫も得た。しかし天気には恵まれず、雨中の行軍となってしまった。仁宇布という所には富士重工スバルの試験場があり、山中にテストコースが設けられている。


ベニヤ原生花園。霧雨と熊警報で散策せず
シマリスです

公園管理棟

入り口にヘッドライト付きヘルメットが置いてあるので、必着です

北海道文化財百選の碑と台石の端に管理棟で借りた鐘

道の駅 音威子府(おといねっぷ)

名寄国道バス停

道の駅美深 レストラン

深縁の滝

仁宇布の冷水


名寄駅と周辺商店街

名寄のひまわり畑俯瞰
  北海道の広大な景色を上から見下ろせば更に広大に見えるだろうと、話題になってるクアッドコプター、所謂ドローンを出発直前に準備した。自宅周りには飛ばせる広場もなく部屋の中で数回練習しただけだったが、名寄のひまわり畑でその機会がやってきた。風のない穏やかな天気で絶好の飛行日和。真っ直ぐ上昇させてそのまま下ろすだけしかできないが、撮れた映像は新鮮で感動もの。


西興部道の駅。回転舞台でからくり人形楽団が演奏中

興部の道の駅。廃線を懐かしむ車両展示
  甥が数年前まで教師として赴任していた西興部(おこっぺ)を訪ねてみた。道の駅の少しさきに学校らしき建物があったのでもしやと立ち寄ったが、これは昭和60年に閉校となった上興部中学校跡だった。過ぎ去った賑やかな光景を思い描く。「森林公園」の言葉の響きに誘われて来ると、鳥居の傍らに好都合にレストランがあり、ジャストタイムのランチができた。

  興部からは再びオホーツクラインに戻る。流氷の町紋別は立ち停まっただけで、温泉のある道の駅上湧別まで走る。


夜の道の駅/上湧別

アスパラそば
サロマ湖展望台
大空町女満別の道の駅メルヘンの丘
  上湧別の温泉併設レストランのロビーでは中国人の20歳台位の女性5人組がソファーを占領していて、何時間も動く気配がない。この場所は24時間は開いてないので道の駅の方にでも場所を移したのだろうが、それにしてもどういう旅行をしてるのかしらん。

  サロマ湖は霞ヶ浦に次ぐ日本第3の広さの湖。湖といっても汽水湖で塩分濃度は海水とほぼ同じらしい。元々は湾だったところが海面が下がって砂嘴ができたそうだ。何千年か前のことです。帆立養殖発祥の地とか。

  この東方の同じく汽水湖の能取湖を迂回して網走へ。似たような地形のトウフツ湖の北の小清水で5つ目となる原生花園散歩後、温泉と道の駅を求めて女満別まで、またしても真っ暗闇の峠道を小一時間ドライブすることとなった。暗さが半端でない。もう夜道のドライブはやめよう!

  屈斜路湖の北の藻琴山で往復3時間程の山登りをする意気込みで登山口駐車場まで来た。隣の埼玉ナンバーの一人旅の男性は今朝雲海の上に日の出を見たと話す。ただしその絶景は3日間の忍耐の褒賞だと解った。霧雨の中を合羽を着ての山登りは止しにして、屈斜路湖へ向う。この湖畔に和琴半島というところがあり、ここなら高低差も少なく一周約2kmと身の丈にあっている。

  摩周の中心街から阿寒へ。湖南の展望所へ登ると植物写真の収穫あり。夕闇迫る中津別で銭湯を見つけた。合宿中のラグビー部員で盛況。道の駅で、深夜数人がライトをかざしてなにやら捜索。気になって聞くと、カブトムシ探しとか。う〜ん、どこから来たのだろうと、複雑な心境に。

  阿寒湖畔遊歩道ですれ違った外国人家族が「こんにちは」と声を掛けてくれた。話し声が聞こえていたので、ボンジュールと返すと、そのお母さんが娘に一言。小さな少女からもボンジュールと返ってきた。ドイツ語や多分ロシヤ語の会話も耳に入って、国際的な観光地だと認識新たに。


藻琴山登山口からの屈斜路湖

屈斜路湖畔

阿寒湖畔スキー場から阿寒湖一望

津別町銭湯

阿寒湖ミュージアム/マリモ標本

阿寒湖畔記念碑

摩周湖第一展望台

虹色うどん


名水を汲みに寄り道

知床の玄関口斜里駅

道の駅で昼食

以久科原生花園にも立ち寄り

オシンコシンの滝

  知床は北海道で最も有名な観光地だろう。世界自然遺産として世界に知れている地だからと、お盆の休みが明けるのを待ってウトロ入り。翌朝は生憎の雨天で、散策もままならず、遊覧船も予約で満杯。取り敢えず半島の先へと自然センターでシャトルバスに乗り換える。大自然相手の観光は生易しいものではない。

バスの窓から

知床五湖レストハウス

羅臼峠は霧

  野付半島も探訪予定地でした。北方領土国後島に最も近い地。領土は国家間の大問題。戦争がその所属を変える。10数年前鈴木宗男さんの尽力でちょっとだけ進展する気配を見せたが、今の安倍政権では到底交渉のきっかけさえもつかめないでしょう。件の島にはロシアの人が生活してる。そのことも考えなくてはならない微妙な問題です。
  領土問題を離れて、最果ての海中(うみなか)の湿地を見てみたかった。しかし対岸の尾岱沼(おだいとう)展望台から霧に霞んだ海の向こうを見てると、来た道を戻って30Kmを往復する気力が失せてしまった。今思うと僅か一時間を惜しんだ間違った決断だった。

  ほぼ海岸に沿って走ってるのだから、どこでも海の幸には恵まれている。根室では回転すし屋に入った。メニューに好物のホヤがあったので注文する。やはり美味である。留萌でもメニューにはあったが、冷凍だというので止した。日本海側では獲れないのだろう。市場で初めて見た北海道のホヤは宮城・岩手のとは異なり3倍くらいの大きなものだ。味の違いは判らない。


国後島へ向かって叫ぶ

根室駅

納沙布岬公園 / 四島(しま)のかけ橋

回転寿司 花まり


ルパン三世の町/茶内駅

あやめケ原放牧ポニー

厚岸湖名産かき
  根室本線茶内駅で、ルパンと記念撮影してから国道を離れ、霧多布岬方面に逸れる。ムツゴロウさんが短期間だが牧場を営んだという島を遠くから眺めたりしながら、山道に入ったところでとんでもない光景を目にした。車から離れて写真を撮ってるわたしの横を駆け抜けた乗用車が2度蛇行して右の森の中へ吹っ飛んでいきました。えッえ〜〜? 大急ぎで車を出して吹っ飛んだところ迄行くと、若い男が近寄ってきてスマホが圏外なので知人の居る場所まで送ってくれと言うので、数キロ戻り藻散布橋で下ろしました。曰くよそ見してた。

  厚岸湖は水温が低く貝毒プランクトンの心配がなく、夏でも牡蠣を食べられる。これも出発前から楽しみにしていた。気のせいか備前の牡蠣より塩気が少ないような。


幣舞橋の裸婦像「春」
四体それぞれ作者は別

釧路市湿原展望台。周辺は散策木道が整ってる
  釧路は大きな街です。JR釧路駅から湿原風景をゆっくり眺めるノロッコ列車というのが出てるが、時間が合わず、釧路川流域は諦めて、次の行き先を湿原展望台と決め、先ず市内散策。観光案内所でもらった地図を片手にスタート。四季の裸婦像四体を欄干上に配した幣舞橋(ぬさまいはし)を渡り、美術館に併設の展望塔へ行く。昼どきに海鮮料理目当てに和商市場まで歩く。街には色んな国からの観光客が目に付いたが、ここの食材をその場で食べるコーナーにも中国人を筆頭に外国の方々が溢れていた。


樹齢140年 ハルニレ

ゆり根定食
  帯広への道中で「ハルニレの木」を見つけた。最近大洪水が全国で起ってる。この木も十勝川の河川敷に生育しているが140年間洪水にも耐えてきたんかな。
  帯広から襟裳岬までの間で、幕別町の忠類(ちゅうるい)の道の駅は温泉完備だ。北海道の人は温泉がとっても好きらしく、どこも早い時間から大盛況だった。
  忠類はナウマン像化石発掘現場です。特産品の一つがゆり根ということで夕食はこれ。関西に多く出荷されてるらしい。


フンベの滝

襟裳岬

浦河町街並み

アイヌ民族資料館

スズラン群生地

日勝峠トンネル

日勝峠展望台下り

サンゴ渓谷なみだの滝
  十勝平野を後にして襟裳岬を目指す。この日は海が荒れていて、道路に波の花が打ち寄せてるところもあった。フンベの滝には幾世代に渡る数基の海難慰霊碑があって、海の難所だったことを思わせる。十勝港のある広尾町から南は、海だけでなく陸も海岸まで日高山脈が迫っている厳しい地形だ。襟裳岬近くになると台地になっていて、明治からの開拓で森林を伐採し尽くし荒地になってしまったのを、今植林して森の再生に取り組んでいる。

  日高本線の終点、様似の駅へは立ち寄り損ねたが、5つ手前の浦賀の国道の両側には個性的な家や店舗が居並び、テーマパークに来たような雰囲気だ。JRの駅以外、町の主要設備も大きく新しい近代的な建物になっていた。

  真歌公園アイヌ民族資料館の庭は小さな植物園になっていて、草木の名前を知る助けとなる。温泉と夕食に新冠温泉レ・コードの湯まで走る。

  日高町はサラブレッドの町だ。どさんこやポニーではない。気のせいか牧場の厩舎も立派に見える。いや明らかに立派だ。

  国道からわき道に入って、すずらん群生地を訪ねてみた。すずらんの花の代わりにツルニンジンの群生に出会う収穫を得た。日勝峠展望台の案内板を見つけた。細い地道に気持ちが萎え気味だが、え〜いとばかり登ってみた。

  日暮までの間、宿泊ホテル近くの滝道を山歩き。誰も歩いていない。滝まで行くと帰りは真っ暗になりそうなので、途中で引き返した。


夕張駅前 屋台商店街

模擬坑道

支笏湖

支笏湖 野鳥の森
  夕張炭鉱は是非にも訪れたい場所でした。10年程前に財政破綻した後、気鋭の若い市長の元で再生を計っているようです。道の駅夕張メロードでみやげを見繕って、滝の上公園を散策して夕張炭鉱へ。エレベータのドアが閉まると何故か明りが消え、地下坑道到着まで真っ暗闇。坑道内では掘削機械を実演運転する大掛かりなもので迫力満点。

  夕張からさほど遠くない長沼町の道の駅で北海道最後の一泊だ。フェリーの出航は深夜だから明日もまだどこかへ行けそう。

  有名な観光地支笏湖を観光。といっても遊覧船に乗るでもなく、相変わらず山道歩きですが、パンフレットの地図しかなく3時間以上も歩いてしまった。付き合わされた人にごめんなさい。


日本海航海と「すいせん」船内。最後の最後でやっと日の入りを見る。
  帰路は苫小牧から敦賀行きのフェリーに乗船。往路と同クラスの部屋ですが、こちらはトイレ付き。台風崩れの低気圧が日本海に居座ってるので、便は30分の遅れ。揺れも大きく、大浴場の湯舟では波間に浮いてるように左右にゆ〜らゆら。その後浴場の使用は禁止となる。幸い船酔いまでには至らなかった。敦賀からは通り慣れた道とはいえしたくなかった2時間の夜間ドライブでした。
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