天空の竹田城で初日の出〜粟鹿神社初詣
2016年 1月 1日
今年は宿もフェリーも予約できなかったので、年初から車中泊を強行しました。今人気沸騰中の但馬の竹田城跡を管理する
しかし地図を見ればわかるように、竹田城のある朝来市は山中で日本海に近く、この場所で初日の出を拝むのは奇跡に近い確率だとはわかっていた。しかも夕方から本格的な雨になりました。
中国縦貫道の
風呂を浴び、夕食に晦日そばを探しましたが、ネットでそば屋を見つけたものの場所が定かに分らない。仕方なく近くにあったスシローへ。すし屋なら間違いなくそばメニューはあるだろうと思って来たのに、うどんがあるのにそばがない。ラーメンがあるのに、なぜそばはないの? 和と中華の区別を知らないのかなぁ〜
寝所の竹田城登山口の駐車場ではOCNモバイルONEが繋がりません。アンテナは4本立ってるのに。ドコモは繋がってます。代わりに朝来市のWIFIサービスを利用できたのでインターネットに繋がりました。後で考えると4Gから3Gに切り替えると繋がったかもしれない。
TVで見ていたNHK紅白も終盤になり、うとうとしかけていたとき、車のボディーを叩く音でびっくりしてカーテンの隙間から外をのぞくと、合羽を着た男の顔がガラス越しにヌット出てさらに肝を冷やす。周りを見渡すと他にも赤い誘導灯を持った人が数人居ます。何事ぞ!
恐る恐るドアを少し開けて話を聞く。元日は「車の通行が」(その男性の言葉では「登城が」と言ってたようでしたが意訳しました)禁止と決まったので出て行けという。イオンのショッピングセンターの駐車場に停めて、明日バスで500円払ってここまで来いという。雨は降るものの雪に変わる様子もなく、差し迫った危険も見当たらないのに、なんで通行禁止と「決まった」の。インターネット広報では積雪による事故の危険などの場合には登城禁止にすることもあるなんぞとかは見た。にも拘らずバスは運行予定という。そんなことはもっと早くインターネットに載せといてくれ。せめて登る前、車の登山入り口で制止して欲しい。その後退去するまでの短時間に2〜3台の車が登って来たが追い返されていた。
元日夜明け前車から出てみると、イオン前には市の宣伝の効果があってか、凄い人数がバス待ちに並んでました。2台や3台では到底捌ききれない人数です。バス待ちの間に空を見上げると雲間に月と星が見え、少し期待が膨らみます。日の出時刻に間に合うのかと心配してましたが、3順目のバスで遅刻せずにすみました。
昨夜停めて勝手知ったる駐車場でバスを下り登山道に向かう。登山道といってもバス一台なら通れるアスファルト道です。実際昨年12月始めまで、城跡近くまでバスが運行していたようです。今は小一時間歩かねばならないです。普段動かない私には丁度良い運動です。日の出遥拝には真っ暗闇の行軍ですから懐中電灯がないと、とても歩けません。ハイキングセットとしていつも持ち歩いてる小袋が、このときとばかり役に立ちました。
頂上に登りついたときには辺りも漸く明るくなってきて、雨上がりというので思った通り眼下は雲海となってました。しかも向かいの山の遥か先にも雲があり、お陽さんは見れないなと諦めましたが、時々雲が真っ赤に染まって隙間からでも顔を拝めるかもと期待を持たせられましたが、終に駄目でした。雲海も時間と共に厚くなり眼下どころか足元まで迫り向かいの山頂近くまで覆われてしまいました。
帰りのバスも長蛇の列が出来ていて、もう並ぶ体力も気力もないのでレストランに入り、昨夜食べ損なったそばを食べて時間を潰し、行列が無くなるのを待ってイオン・ショッピングセンターの駐車場まで戻りました。
近くで初詣にも詣りたいと検索すると、但馬の一の宮、
橋を渡ったところに鳥居があり、その手前に2〜30台分(実は60台分)の駐車場が用意されていて、ガードマンが2人交通整理をしていた。
鳥居を
そこからさらに奥に少し進むと、両側に阿形・吽形の随身倚像を配した随身門に行き着く。一般参詣はここを潜って手水で手と口を清める。この随身の裏(背)側には同じく阿形・吽形の一対の狛犬像が安置されている。どちらも江戸前期の制作かと推測されている。
「粟鹿大明神元記」という著述が残っていて、新羅将軍正六位上
この「粟鹿大明神元記」をちょっと覗いて見た。古文書は苦手で翻訳でもよく分らないが次のようなことである。
記紀のように伊佐那伎、伊佐那美からの神々の系譜を綴ったあと・・・
その子
最後に神官としての自分たち
鳥居のそばにアスナロの幼木が目に入りました。明日は檜になりたいとか、ヒノキに劣ると謂われてるようですが、中部地方や東北でヒバの別名で知られる有用な木材です。ヒノキ科で葉が横に広く独特の模様は一度見たら忘れないです。
日は花に 暮れてさびしや あすならふ --- 芭蕉・笈の小文。