香川県
 

 

-- 屋島〜金刀比羅宮 --

2013年 9月 9〜10日


高松道 最初のSA 津田の松原。下り方面からでは海岸が見えません。

  娘が久しぶりに友人に会えるから高松へ連れてってという事で車を出しました。娘の家の近くの阪神高速料金ゲートではETCが故障していて、車載カードを係員に渡して料金所の読み取り機に通して、返してもらったカードを車載機に入れるのですがエラーになります。仕方なく次の料金所でも有人ゲートで一旦停車して返却されたカードを今度はその場で入れますが、やっぱっりエラー。「おかしいで」と係員に文句を言うが先方は正常に処理したので車載機の不具合だろうとの一点張り。後続が詰まってきたので仕方なく撤退します。走りながらカードを何度か入れ直し、ふと裏表逆にしたら読み取りました。カードを取り出すことなぞ滅多に無いので方向を覚えてません。車載機を自分で取り付けたとき上下裏表を気にしなかったので標準とは逆に着けてしまったようです。付け直すか、カードに上下表示を書くか思案中です。
高松道を降りると山高帽を被ったような山(写真よりもっと南東から見たときの景観では)が見えてきました。五剣山です。
料金所の方には申し訳ありませんでした。

  鳴門大橋を渡ってやれやれ四国というところでナビがこの先通行止めと言います。ええっ! 通常ならそのまま高速を走る筈の処を道半ばの鳴門で追い出されてしまいました。高松道の鳴門〜板野間は災害通行止めでした。ナビはルート変更の案内しませので、ゲート通過後の分岐でストップしてしまいました。よそ者は地名・道路情報に疎いので道路案内板の地名を理解できません。
  ところで渋滞や通行規制情報はVICS=Vihcle Information & Communication System が発信したFM電波をナビが受信して音声や地図上に知らせますが、回避ルートを検索してくれませんので、通行止めでもルートは突っ切っていきます。少なくとも当方のナビでは。VICS情報料はナビ購入時の価格に含まれています。

  香川県に入れば取り敢えず讃岐うどんということで一番にうどんを食べに行きます。前もって調べていた「山田屋」はネット上では有名なところだそうです。歩いて行くには登り坂が続くので不向きですが、駐車場は広大なものが用意されていますのでバスでも乗用車でも心配ありません。土地の名士の方の屋敷なのか、建物は歴史がありそうで、敷地も広大です。よく手入れされた庭を眺められる座敷でうどんを頂きます。


この大きな屋敷の門構えがうどん屋さんです。

庭も建物も立派

落ち着いた雰囲気の座敷

ざるに入ってなくても、ざる釜揚げうどん

  平家ファンには屋島はどうしてもルートに入ってしまいます。大宰府を追われた平家は阿波民部粟田重能(しげよし)等の働きで屋島に安徳の仮の宮殿(行宮)を作って反撃の本拠とします。水島合戦で義仲に勝ち、一時は清盛の旧都福原迄盛り返し、都に後一日の距離まで迫ったが、生田の森、一の谷合戦で義経軍に破れ再び屋島へ後退する。
  しかしここも、背後の山から義経に奇襲され、敵が小勢とも知らず、慌てた宗盛は屋敷を焼き払い船で海へ逃げ出してしまう。暫くは船での攻撃を試みるも、終に海原に漂う民となり壇ノ浦へと突き進んでいきます。

  屋島ドライブウェイの東側見晴らし。中央の山は五剣山。山上から見る源平古戦場、とは言っても800年前とは海岸線も変わっていて戦闘を重ね合わせるのは難しい。地図案内板はこちら(別ウィンドウに開きます)(注)案内板中の屋島檀ノ浦は下関壇ノ浦とは別です

  屋島ドライブウェイを登りきると屋島寺があります。起源は平家の時代よりずっと遡り鑑真が開祖で元は律宗だったのを弘法大師が天台宗に改宗させ、四国88ヶ所の84番札所となっています。平家物語には収録されていません。


左の鐘楼の鐘は鎌倉初期貞応2年鋳造。中央が金堂、その右手前は社務所

屋島寺本堂
四天王の誰かでしょうか

南大門(だと思います)。瑞垣の石柱に刻まれた丸に平の紋の下の眞鍋宗平と英荘の名、はて誰?


かんぽの宿坂出の玄関

瀬戸内の島に沈む夕日

  当人が予約したかんぽの宿坂出(さかいで)へは10km余りを山道のドライブです。かんぽの宿は今回始めて利用します。4人一緒の10畳程の和室から見える瀬戸内海の夕日も旅情を誘います。
  後で女性陣に聞くと大浴場の奥に露天風呂があったそうで、なかなかに雰囲気が良かったらしいですが、残念ながら気付かずに出てきました。夕食はわたしには多すぎる量の会席料理で、これで一人1万円未満とはお値打ちです。
  かんぽの宿の北西すぐ、車で5分位のところに八十一番札所白峯寺があります。保元の乱で後白河方の清盛軍に敗れ信西にここ讃岐まで流された崇徳上皇の墓もここです。家族と一緒で無いときに機会があれば詣りたいところです。

思ひやれ 都はるかに おきつ波 立ちへだてたる こころぼそさを(崇徳『風雅和歌集』)


銭形砂絵 ここは立ち入り禁止で人影は砂を馴らす作業員です。
  翌日は当の娘の友人が迎えに来てくれて別行動です。運転手の娘が組んだ予定通り、琴弾(ことびき)公園の銭形砂絵を見に展望台に上がります。裸足にサンダルのままだったので、足元に積もった松の枯葉から這い出てきたでかいムカデにびっくりして足を滑らせ、膝小僧を擦り剥いてしまいました。
  砂絵に描かれた銭は寛永通寶。謂れは寛永10年(1633)、高松藩主生駒高俊を歓迎する為 -- 気まぐれ藩主の遊興に阿ねて-- 一夜でこしらえたとか。
  見物には朝か夕方がお奨めで、日の高い昼前後は避けた方がよろしい。影ができないと字をはっきりと読めない。望むらくは銭形を展望台方向に斜めに引き起こしてもらえればもっと見やすいのだが。それでも縦横の直径は変えて円に見えるようにはしてるのだそうです。砂場の中には数人の作業の人が砂を馴らしていました。毎日やってるのかしらん?


金刀比羅宮本殿とそれに連なる回廊

神馬 月琴号 8歳

  香川でもう1つ行っておかなければならない所がこんぴらさんです。長い階段には尻込みしますが、やはり一度はお参りしないといけません。先週とは打って変わってこの日はまた暑さが戻り、ちょっときつかったですが、ゆっくりと日陰づたいに登りました。石段のひとつの巾が狭く降りるときに注意しないと大きな靴ではかかとを蹴込に引っ掛けてしまいます。今まで転げ落ちた人は居ないのだろうか? などくだらない事を考えながら無事下山しました。

  夕方、「しおえ」という所の道の駅で娘と孫をを拾って帰途に着きました。

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