吉野 金峯山(きんぷせん)

2016年11月22日


吉野大橋を右折

黒門

巨大ゆずではなく獅子柚子と言います

銅の鳥居

吽形

本殿 蔵王堂

蔵王権現

南朝妙法殿 後醍醐天皇行宮とした実城寺跡

  奈良市から十津川村を経由して和歌山県新宮市まで行く国道169号を吉野川沿(下流和歌山に入ると紀の川と名前が変わる)の途中、吉野大橋北詰の信号を右折後、道なりで突き当りを右折して坂を登る。ここを右折せず左折してすぐ右折して近鉄吉野線の踏切を渡れば、ケーブル乗り場方面だが、こちらは駐車場が狭いので、吉野神宮前を通り大駐車場へ行く。

  金峯山とは吉野から山上ヶ岳(大峰山)へ至る一帯を指し、奈良時代に役小角(えんのおずぬ)(役行者)がここで修業をされたという修験道場である。そして役小角が衆生を救うために祈り出されたのが蔵王権現であるという。山形の蔵王山も同様の謂れで、こちらは権現の名前をそのまま地名にしたものです。また大阪の箕面の龍安寺も役小角を開祖として、修験場とされている。

  宇治拾遺物語第二十二に「金峰山薄打の事」という説話がある。京の都七条(金属加工職人が多くいた場所)に住む薄打ちが金の御岳詣(みたけもうで)をした折、露頭している金を採ってきた。聞いていたような雷・地震・嵐といった恐ろしいことも起こらずに、楽に持って帰って来れたので喜び、また採りに行って世を過ごす糧にしようと思った。金を箔に延べて打ち終わった7〜8千枚の箔の売り先を探していると、検非違使(警察)が東寺に仏像を造るのに多くの箔を買うと聞き売りに行った。検非違使の前で箔を並べて見せると、その全てに「金の御岳」「金の御岳」と書かれていた。検非違使に疑われ遂に捕まり、70打ちの拷問の末背中はみさみさになり、10日程の後に獄中で死んでしまった。あな恐ろし。

  金峰山寺の仁王門は改修中で阿吽両金剛力士像は横からしか拝めず、しかも暗くて残念だったがその代わり、本尊金剛蔵王権現とその他の秘仏の特別御開帳の時期に出合ったので拝観してきた。

  蔵王堂の権現は三体あり、中尊が釈迦如来、向かって右の像が千手観音菩薩、左の像が弥勒菩薩を其々本地とし、過去・現世・来世を象徴するという。身の丈7mを超える権現を見上げると、全身青色で右手を振り上げた憤怒の形相をし、身がすくむほど恐ろしい姿である。

  本堂の入口で下足入れの袋と一緒にお札を配っていたが、お札の方は「後の始末に困るから」と辞退した。この恐ろしい姿を見たらやっぱり正解だと思った。

  本地とは本地垂迹思想で神仏混交の信仰形態において、日本古来の神々が仏教の様々な仏の仮の姿で現れているとすることである。権現も仏の仮の姿なのですが、衆生を救うというより、仏の世界を守護するという意味合いの方が強いように思えます。

  その他、お堂の奥の釈迦如来三尊や薬師如来三尊などたくさんの仏像も拝せたが、堂内は撮影できませんので写真はありません。



義経隠れ塔

金峰神社

西行庵を目指して上り始める。この階段が一番の登り。

足元注意

西行庵

苔清水と芭蕉句碑

奥千本

東に行けば青根ヶ峯

近鉄吉野駅。正面のバンは宿の送迎車。

  西行のゆかりを訪ねました。ケーブルバスの停留所でいえば奥千本口で、終点になります。春の桜シーズン以外は本数が少ないのでよく計画を立てて行かないと帰れなくなります。車なら、裏口にあたるところに10数台分の駐車場があります。ゆっくりぐるっと回って丁度一時間でした。

  駐車場から県道を挟んで西行庵の案内板があり急斜面を登ります。右手に展望小屋を見て進むとすぐにお堂に行きつく。義経隠れ塔と看板が立っていた。それによるとこの塔に入って扉を閉め真っ暗になった塔の中を「吉野なる深山の奥の隠れ塔 本来空のすみかなりけり」と唱えて巡るそうです。本来空(ほんらいくう)とは全てのものは仮の、実態のないものだという仏教の概念だそうですが、難しいですね。

  さらに斜面を登ると金峰神社に至ります。鳥居脇の看板によると、この神社の際神は金山彦命といい、吉野山の総地主神で、別名金精(こんじょう)明神とも言います。延喜式内社です。
  金峰とはこの辺りから大峰山へかけての総称で、黄金の鉱脈があると信ぜられてきた。金峰山は黄金浄土であるという仏教説話から生まれたものである。先に紹介した薄打ち御岳詣での話もそういうところから生まれた話で実のところ金は採れません。
  金山彦はイザナミがカグツチを生んだ時、陰部に大火傷を負って苦しんで嘔吐したものから生まれた金山毘古神と金山毘売神の2柱の内の男神で、鉱山を司る神である。

  案内順路に従って進む。観光用に西行庵というのが拵えてある。庵の中に西行像が鎮座ましますが、でもちょっと違うかなと言う感想です。またここはやはり西行がこよなく愛した桜の時期が似合いそうです。

  看板にあった西行の歌を並べておきます。

  とくとくと落つ(る)も岩間の苔清水 汲みほすまでもなきすみかかな
  吉野山去年の枝折(しおり)の道かへて まだ見ぬ方の花をたずねむ
  吉野山花のさかりは限りなし 青葉の奥もなほさかりにて
  吉野山梢の花を見し日より 心は身にもそはずなりにき

  その先に進むと苔清水。真にささやかな出水です。清水の傍らの石碑に掘られた芭蕉の句。

  春雨の こしたにつたふ 清水哉 (笈の小文)

  芭蕉はこの時、伊勢で伊良湖から抜け出てきた杜国と落合い、乾坤無住同行二人(けんこんむじゅうどうぎょうににん)と書いた笠を被り、初瀬 - 吉野 - 高野 - 和歌の浦 - 須磨 - 大阪まで同道する。

  よし野にて桜見せふぞ檜の木笠 (芭蕉)
  よし野にて我も見せうぞ檜の木笠 (万菊丸=杜国)

  芭蕉はこれ以前、野ざらし紀行の旅でも吉野を訪れている。

  (きぬ)打て我にきかせよや坊が妻
  露とくとく試みに浮世すすがばや

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